あらすじ化の罠
- 2019/05/24
- 17:00
いっとき一部で「面白い」と評判の電子書籍を読んだ時、読み始めた瞬間から「アレ?」となった事がありました。誰でも経験があるかもしれません。
設定は練りこまれているし、話の運びも悪くない。
では私は何をもってこの小説につまらなさを感じているのか?
全部が全部ではありませんが、その理由は割と早く見つかりました。
それは、物語の中に動きが無いという点でした。
たしかになんでもかんでもアクション映画さながらにめまぐるしい動きを入れる必要はありませんし、ただ本のページをめくるだけの描写に「太郎は右手の人差し指と中指の第一関節から先を使って、指紋で紙が滑らないようにしながら本のページをめくった」なんていう表現をすれば、読者は嫌になってしまうでしょう。例は極端ですが。
ただ、それでも最低限の動きはいるんじゃないかと思う瞬間があるわけです。
たとえば何かが爆発する時。車がものすごいスピードで突っ込んで来る時。こういった時はそれなりに派手な描写があっていいのではないかと。
時間というのは不公正なものでして、普通に生きていてもある一瞬が永遠のように感じられる瞬間ってありますよね?
そういう大事な一瞬を丁寧に描写する必要も出てくるわけです。
これが成されていれば1ラウンドでカタのつく闘いも、5分で終わっちまうようなセックスも(笑)、それなりにすごいものに見えてくるはずです。要は見せ所はガッツリ描写しないとつまんなくなりますよという事ですね。
これに抵触した作品はよく出来ていてもなんだかあらすじ小説というか、プロットをちょっと複雑にしただけの話を延々読まされている気分になります。
案外これのコントロールは難しく、大御所の作家でも時々やらかしているのを見つける事があります。
かといってなんでもかんでも詳しく書きすぎるとくどい感じにもなってしまう。
だからここで何を濃くして何を薄くするべきなのかを書く時点ではっきりさせておくべきなんですね。
場所の描写がまったく無かったらキャラがどこで喋っているのか読者は想像出来ないし、かといってそこを詳しく書きすぎると読者は「なんかここにヒントでもあるのか」と考え込んでしまう。
ですからここにはリーダビリティーとの共存が必要なんですね。
これももしかしたらブーメランかもしれませんが、一度自作の小説を何も読んだ事の無い人の視点で読んでみて、そこに「読者が理解しているべき情報が満たされているか?」「読者が知らなくてもいい情報は入っていないか?」を見る事です。
前者が足りなければもっと量を増やし、後者が見つかったら軽量化を目指します。
デブ専もガリガリ好きな人も存在しますが、一般的に好まれるのは出るところは出ていて引っ込んでいるべきところは引っ込んでいる人です。
それを忘れてはいけません。
設定は練りこまれているし、話の運びも悪くない。
では私は何をもってこの小説につまらなさを感じているのか?
全部が全部ではありませんが、その理由は割と早く見つかりました。
それは、物語の中に動きが無いという点でした。
たしかになんでもかんでもアクション映画さながらにめまぐるしい動きを入れる必要はありませんし、ただ本のページをめくるだけの描写に「太郎は右手の人差し指と中指の第一関節から先を使って、指紋で紙が滑らないようにしながら本のページをめくった」なんていう表現をすれば、読者は嫌になってしまうでしょう。例は極端ですが。
ただ、それでも最低限の動きはいるんじゃないかと思う瞬間があるわけです。
たとえば何かが爆発する時。車がものすごいスピードで突っ込んで来る時。こういった時はそれなりに派手な描写があっていいのではないかと。
時間というのは不公正なものでして、普通に生きていてもある一瞬が永遠のように感じられる瞬間ってありますよね?
そういう大事な一瞬を丁寧に描写する必要も出てくるわけです。
これが成されていれば1ラウンドでカタのつく闘いも、5分で終わっちまうようなセックスも(笑)、それなりにすごいものに見えてくるはずです。要は見せ所はガッツリ描写しないとつまんなくなりますよという事ですね。
これに抵触した作品はよく出来ていてもなんだかあらすじ小説というか、プロットをちょっと複雑にしただけの話を延々読まされている気分になります。
案外これのコントロールは難しく、大御所の作家でも時々やらかしているのを見つける事があります。
かといってなんでもかんでも詳しく書きすぎるとくどい感じにもなってしまう。
だからここで何を濃くして何を薄くするべきなのかを書く時点ではっきりさせておくべきなんですね。
場所の描写がまったく無かったらキャラがどこで喋っているのか読者は想像出来ないし、かといってそこを詳しく書きすぎると読者は「なんかここにヒントでもあるのか」と考え込んでしまう。
ですからここにはリーダビリティーとの共存が必要なんですね。
これももしかしたらブーメランかもしれませんが、一度自作の小説を何も読んだ事の無い人の視点で読んでみて、そこに「読者が理解しているべき情報が満たされているか?」「読者が知らなくてもいい情報は入っていないか?」を見る事です。
前者が足りなければもっと量を増やし、後者が見つかったら軽量化を目指します。
デブ専もガリガリ好きな人も存在しますが、一般的に好まれるのは出るところは出ていて引っ込んでいるべきところは引っ込んでいる人です。
それを忘れてはいけません。
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