付箋は貼るな
- 2019/05/20
- 17:00
個人作家に限らず、小説を書く人には読書家が多いです。
よく書く人はよく読む傾向にもあり、重厚な読書時間は執筆の技術と絡み合い、しばしば素晴らしい化学変化を起こします。
時々、読書の際に気に入ったところへ蛍光ペンで線を入れたり、重要なページに付箋を貼るのが好きな人を見かけます。私はこれに待ったをかけたい。
そもそも付箋を貼るぐらい重要だと思うデータなら通常は忘れるはずはなく、私から言わせれば「そんなもんいちいち書かないでも憶えとけよ」という話でございます。
データを血肉にするとは、データが装填済みの弾丸のようにいつでも発射出来るレベルにまで血肉にしておくという事であり、それが出来ないのであればその技術は単に借り物に過ぎません。使うべきところで弾の出ない銃なんぞ、お守りにしかならないのです。
たとえば一流の歌手が床に貼り付けた歌詞のカンペをガン見して歌うでしょうか?
そんな事はやりませんよね?
読書した過去の小説群は時間差で少しずつ血肉として機能してきます。そうでなければパクリだからです。
創作の幅を広げていきたいなら、こういった小さくて小さくて震えるような蓄積を嫌がらず、地味にでも読書を継続し、読んだ話の大綱を忘れずにおくという事が肝要となります。
それには付箋というよりも、単に文中にある分からない単語を辞書を引かずに飛ばさない事や、文字の字面(じづら)だけを見てすべてを分かったような気にならない事が必要になってきます。
唯一の例外はレビュー系の記事を書く時です。
レビューの場合に限っては読みどころを熟知し、内容を紹介する際には極力原文ママで掲載する事が望ましい。そういった場合は別です。
ですが、純粋な創作側に立つ人間の場合、紙の付箋が備忘録になる事よりも、自分自身が心の付箋を記憶の中に貼り、時々そこを覗き込む事こそが筆力の真なる研鑽に繋がる事を忘れてはいけません。
まずはしっかり読みましょう。流したりするのではなく、何が書かれているのかを在りのままに見る事が大事です。
よく書く人はよく読む傾向にもあり、重厚な読書時間は執筆の技術と絡み合い、しばしば素晴らしい化学変化を起こします。
時々、読書の際に気に入ったところへ蛍光ペンで線を入れたり、重要なページに付箋を貼るのが好きな人を見かけます。私はこれに待ったをかけたい。
そもそも付箋を貼るぐらい重要だと思うデータなら通常は忘れるはずはなく、私から言わせれば「そんなもんいちいち書かないでも憶えとけよ」という話でございます。
データを血肉にするとは、データが装填済みの弾丸のようにいつでも発射出来るレベルにまで血肉にしておくという事であり、それが出来ないのであればその技術は単に借り物に過ぎません。使うべきところで弾の出ない銃なんぞ、お守りにしかならないのです。
たとえば一流の歌手が床に貼り付けた歌詞のカンペをガン見して歌うでしょうか?
そんな事はやりませんよね?
読書した過去の小説群は時間差で少しずつ血肉として機能してきます。そうでなければパクリだからです。
創作の幅を広げていきたいなら、こういった小さくて小さくて震えるような蓄積を嫌がらず、地味にでも読書を継続し、読んだ話の大綱を忘れずにおくという事が肝要となります。
それには付箋というよりも、単に文中にある分からない単語を辞書を引かずに飛ばさない事や、文字の字面(じづら)だけを見てすべてを分かったような気にならない事が必要になってきます。
唯一の例外はレビュー系の記事を書く時です。
レビューの場合に限っては読みどころを熟知し、内容を紹介する際には極力原文ママで掲載する事が望ましい。そういった場合は別です。
ですが、純粋な創作側に立つ人間の場合、紙の付箋が備忘録になる事よりも、自分自身が心の付箋を記憶の中に貼り、時々そこを覗き込む事こそが筆力の真なる研鑽に繋がる事を忘れてはいけません。
まずはしっかり読みましょう。流したりするのではなく、何が書かれているのかを在りのままに見る事が大事です。
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