巧さは基本
- 2019/05/18
- 17:00
よく「技巧に走る」みたいな揶揄があらゆる芸術の世界で聞かれますが、それを言っていいのは卓抜した技巧というか、総合力の持ち主だけではないかと。
というのも、技巧というのは日頃から磨いておかないといけない刀のようなもので、放っておけばすぐにさび付いてしまうからです。
たとえばこの動画を観てみましょう。
割と有名な曲ですよね。
ベタっちゃベタなんですが、これがなんで芸として成立するかって訊かれると、そこには狂気(本人は違うって言うかもしれませんが)を伝える技巧が表現者側にあるからです。
多分演奏が巧いだけの人がこれをやっても寒い感じになりそうですし、演奏がダメな人が見た目だけ真似してもブラックメタルならぬブラックヒストリー……平たく言えば黒歴史をこさえるだけになるのだと思います(笑)。
文学の世界だとドグラ・マグラなんかがありますが、私はあの作品については精緻な技巧を基礎にして編み上げられた作品と理解しています。
奇書は奇書なんでしょうけど、やっぱりそこには表現したいものの設計図があって、見る側にそれを見抜ける目があるかどうかなのではないかと。
ま、ブーメランにはなるかもしれませんが、奇策にばっかり走っててもしょうがないですよというところですかね。
変人と天才を同時に他者に認識させる事が出来る人というのは、自分の逸脱した部分をなんらかの表現手法を通してエンタメとして提供出来るという事です。
表現されたものばかりを真似してはいけません。
モーツアルトになりたいなら、「俺のケツ舐めろ」(本当にある)よりもまず別の代表曲を学びなさいというところですね。
自戒も込めますが。
というのも、技巧というのは日頃から磨いておかないといけない刀のようなもので、放っておけばすぐにさび付いてしまうからです。
たとえばこの動画を観てみましょう。
割と有名な曲ですよね。
ベタっちゃベタなんですが、これがなんで芸として成立するかって訊かれると、そこには狂気(本人は違うって言うかもしれませんが)を伝える技巧が表現者側にあるからです。
多分演奏が巧いだけの人がこれをやっても寒い感じになりそうですし、演奏がダメな人が見た目だけ真似してもブラックメタルならぬブラックヒストリー……平たく言えば黒歴史をこさえるだけになるのだと思います(笑)。
文学の世界だとドグラ・マグラなんかがありますが、私はあの作品については精緻な技巧を基礎にして編み上げられた作品と理解しています。
奇書は奇書なんでしょうけど、やっぱりそこには表現したいものの設計図があって、見る側にそれを見抜ける目があるかどうかなのではないかと。
ま、ブーメランにはなるかもしれませんが、奇策にばっかり走っててもしょうがないですよというところですかね。
変人と天才を同時に他者に認識させる事が出来る人というのは、自分の逸脱した部分をなんらかの表現手法を通してエンタメとして提供出来るという事です。
表現されたものばかりを真似してはいけません。
モーツアルトになりたいなら、「俺のケツ舐めろ」(本当にある)よりもまず別の代表曲を学びなさいというところですね。
自戒も込めますが。
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