嫌いな書評
- 2019/04/05
- 17:00
いまだにレビューの書き方が売れているのを機に、ある事を思い出しました。
そういえばわたくし、とても嫌いなタイプの書評がございました。
それは
やたら他著やら文学の歴史を振りかざして煙に巻くタイプの書評でございますね。
これは商業出版に多い気がするのですが、単行本とかで巻末のあとがきを読んでいると、それこそ今まで読んだ感動を相殺しかねないナルシイなあとがきがあるのも事実でございます。
どうしてこういった書評がいけ好かないのか考えてみました。
理由はごく単純で、そういった書評が作品をより深く理解する助けになっていないからではないかと。
まあ「この作品は○○のオマージュです」みたいに、他の作品と切っても切れない立ち居地ならまだ分かりますよ。ですが、著者の作品ではないものをやたらと羅列して肝心の内容については薄っぺらいあとがき等を見ていると「僕はこんなに博学なんだぞとでも言いたかったんですかね?」と毒づいてやりたくなるのも事実でございます。
おそらくですが、私がこういった書評に嫌悪感を抱く理由っていうのは、単にその作品を読んでいないとその書評を理解出来ないのに書いた本人はさも常識かのように振舞っていていけ好かない点と、自分の書評ですら他著の威を借りるというか、要は単なる書評として俎上に載せられる覚悟が見られない点にあるのだと思います。
そして、そういった他著を挙げる人は大した作品を書いたわけでもないのに挙げた著書の作者よりも偉そうか、良くても同格のような顔で振舞っています。自分はただの読者のくせに。
たしかに別格の人はいますが、そういった人は他の作品をいちいち挙げなくても興味深い書評やら観点が書けるものです。
ゆめゆめそのような人にはならないように気を付けたいと思います。
そういえばわたくし、とても嫌いなタイプの書評がございました。
それは
やたら他著やら文学の歴史を振りかざして煙に巻くタイプの書評でございますね。
これは商業出版に多い気がするのですが、単行本とかで巻末のあとがきを読んでいると、それこそ今まで読んだ感動を相殺しかねないナルシイなあとがきがあるのも事実でございます。
どうしてこういった書評がいけ好かないのか考えてみました。
理由はごく単純で、そういった書評が作品をより深く理解する助けになっていないからではないかと。
まあ「この作品は○○のオマージュです」みたいに、他の作品と切っても切れない立ち居地ならまだ分かりますよ。ですが、著者の作品ではないものをやたらと羅列して肝心の内容については薄っぺらいあとがき等を見ていると「僕はこんなに博学なんだぞとでも言いたかったんですかね?」と毒づいてやりたくなるのも事実でございます。
おそらくですが、私がこういった書評に嫌悪感を抱く理由っていうのは、単にその作品を読んでいないとその書評を理解出来ないのに書いた本人はさも常識かのように振舞っていていけ好かない点と、自分の書評ですら他著の威を借りるというか、要は単なる書評として俎上に載せられる覚悟が見られない点にあるのだと思います。
そして、そういった他著を挙げる人は大した作品を書いたわけでもないのに挙げた著書の作者よりも偉そうか、良くても同格のような顔で振舞っています。自分はただの読者のくせに。
たしかに別格の人はいますが、そういった人は他の作品をいちいち挙げなくても興味深い書評やら観点が書けるものです。
ゆめゆめそのような人にはならないように気を付けたいと思います。
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