たまに戻ってきては毒を吐く
- 2018/11/07
- 17:00
久しぶりの更新でございますね。
一応執筆そのものは続けています。次回作がどのやうに出るかはちょっと色々調整が必要なので明言は出来ないのですけど、一応書いてはおります。
さて、時間も空いたのでまた焦げ臭い話題でも展開しますかね。
結構前に「月狂センセ、こいつセンセの悪口言ってまっせ」という密告が水面下でありまして、ヌヌヌイそれならそいつの作品を読んで、書評でボロクソに書いてやろうじゃないか(←器が小さい)という考えを起こしたのですよ。
わたくしKindleの読み放題に登録していましたので、その容疑者の作品を密かにDLしまして、ちょっと読んでみたのです。それでも面白かったら面白いと紹介してしまう気はしましたが。
ところがですね、これが怖ろしくつまらないのです。
いや、待て待て。これはきっと私の心に憎しみのバイアスみたいなものがかかっていて、作品を冷静に分析出来ないせいだ。
そのやうに自分へと言い聞かせ、数ヶ月置いてからもうちょっと冷静な視点でその作品を読んでみました。
ところがやっぱりつまんないものはつまんないんですね(笑)。
酷評を書こうにも、読むのが苦痛で10%読んで「まだあるのかよ」と毒づきたくなる状況で読書が続くのです。このやうな読書は精神衛生上よろしくない。
そう考えると嫌いな作家の作品をわざわざ読んで酷評を投じる人って実はすごく忍耐強いのではないか? という妙なリスペクトが湧いてきたのです。
少なくとも私は苦痛でこれ以上読めませんでした。まったくワクワクしない伏線に、ただただ「正しい文章であろう」として書かれた無味無臭の物語……。それを読むのは心底苦痛でございました。
嗚呼、世の中には「逆にどうやったらこんな不味い野菜炒めが作れるの?」と同じ現象を持つ文章が存在しているのだという事をたった今知りました。私は浅はかでございました。
結局私の酷評プランは実現に至らず、今は好きな本だけ読んでいます。きっとその方がよろしい。
このやうに、嫌いな文章を最後まで読むのには、逆に才能が必要なのだという事を知りました。
逆に言えば、たとえ酷評だったとしても、最後まで読ませたらそれなりに勝ちではあるのだなとも思えました。まったく新しい視点でございました。
これからも好きな作品だけ好きなだけ読んでいこうかと思います。
一応執筆そのものは続けています。次回作がどのやうに出るかはちょっと色々調整が必要なので明言は出来ないのですけど、一応書いてはおります。
さて、時間も空いたのでまた焦げ臭い話題でも展開しますかね。
結構前に「月狂センセ、こいつセンセの悪口言ってまっせ」という密告が水面下でありまして、ヌヌヌイそれならそいつの作品を読んで、書評でボロクソに書いてやろうじゃないか(←器が小さい)という考えを起こしたのですよ。
わたくしKindleの読み放題に登録していましたので、その容疑者の作品を密かにDLしまして、ちょっと読んでみたのです。それでも面白かったら面白いと紹介してしまう気はしましたが。
ところがですね、これが怖ろしくつまらないのです。
いや、待て待て。これはきっと私の心に憎しみのバイアスみたいなものがかかっていて、作品を冷静に分析出来ないせいだ。
そのやうに自分へと言い聞かせ、数ヶ月置いてからもうちょっと冷静な視点でその作品を読んでみました。
ところがやっぱりつまんないものはつまんないんですね(笑)。
酷評を書こうにも、読むのが苦痛で10%読んで「まだあるのかよ」と毒づきたくなる状況で読書が続くのです。このやうな読書は精神衛生上よろしくない。
そう考えると嫌いな作家の作品をわざわざ読んで酷評を投じる人って実はすごく忍耐強いのではないか? という妙なリスペクトが湧いてきたのです。
少なくとも私は苦痛でこれ以上読めませんでした。まったくワクワクしない伏線に、ただただ「正しい文章であろう」として書かれた無味無臭の物語……。それを読むのは心底苦痛でございました。
嗚呼、世の中には「逆にどうやったらこんな不味い野菜炒めが作れるの?」と同じ現象を持つ文章が存在しているのだという事をたった今知りました。私は浅はかでございました。
結局私の酷評プランは実現に至らず、今は好きな本だけ読んでいます。きっとその方がよろしい。
このやうに、嫌いな文章を最後まで読むのには、逆に才能が必要なのだという事を知りました。
逆に言えば、たとえ酷評だったとしても、最後まで読ませたらそれなりに勝ちではあるのだなとも思えました。まったく新しい視点でございました。
これからも好きな作品だけ好きなだけ読んでいこうかと思います。
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