書評――他人の本が売れるだけでした
- 2018/09/22
- 17:00
今は昔、というか、仕事が忙しくなる前ですね。私はよく個人作家の書いた作品を読んではブログにてレビューしておりました。
振り返ると、あそこまでちゃんと書評している個人作家もほとんどいないというか、いやはや美しきものを美しいと表現するだけにも才能という要素が関わってくるのだなと妙に納得してしまいました。他の個人作家からの反響もおおむね好評だったかと思います。
ですが、それはそれで新たな問題を生みました。
というのも、書評した本が売れてくれるのはいいのですが、私の売上にまったく跳ね返ってきません。
なぜですか。
因果応報という言葉にはいい意味もあって、それは善行でも返って来る時は返ってきますよという意味も包含されているわけです。
どうして私の褒めた作品には人が群がり、素敵なレビューを書いた私の作品には閑古鳥が鳴いているのでしょうか?
おまけに「私の作品もレビューしてくれませんか?」とホザく人まで現れる始末。寝言は寝て言いやがれでございます。
こういう人を見ていると、「私の既刊すべてを買ってくれたらいいよ」と言ってやりたくなります。そう、それはさながら慈善団体にたまたま募金した篤志家が毎月高額な募金を頼まれるような罰ゲームぶりでございます。
ただ、書評してきた作品は本当に好きな作品でしたので、振り返ってみると「ああ、この時にはこんな思いでこの作品を読んでたんだな」とか、そんな目で過去を回顧する事も出来るようにはなりました。その価値は、プライズレス……というか、無償ですね、単に。
これからも書評は書くかもしれませんね。それは単に面白い作品を読んだ時だったかもしれないし、面白いのにあまりにも売れてないのが面白くなくて、一丁風穴を空けてやろうみたいな、そんな思いがございました。どちらにしても個人的なモチベーション以外は存在しないかと。
そう考えると、たまには書評もするかもしれませんね。
でも書評の反応と売上はまったく別物であるというデータは念頭に置いておかねばなりますまい。
自分のためにも、書評が政治の道具にならないためにも。
振り返ると、あそこまでちゃんと書評している個人作家もほとんどいないというか、いやはや美しきものを美しいと表現するだけにも才能という要素が関わってくるのだなと妙に納得してしまいました。他の個人作家からの反響もおおむね好評だったかと思います。
ですが、それはそれで新たな問題を生みました。
というのも、書評した本が売れてくれるのはいいのですが、私の売上にまったく跳ね返ってきません。
なぜですか。
因果応報という言葉にはいい意味もあって、それは善行でも返って来る時は返ってきますよという意味も包含されているわけです。
どうして私の褒めた作品には人が群がり、素敵なレビューを書いた私の作品には閑古鳥が鳴いているのでしょうか?
おまけに「私の作品もレビューしてくれませんか?」とホザく人まで現れる始末。寝言は寝て言いやがれでございます。
こういう人を見ていると、「私の既刊すべてを買ってくれたらいいよ」と言ってやりたくなります。そう、それはさながら慈善団体にたまたま募金した篤志家が毎月高額な募金を頼まれるような罰ゲームぶりでございます。
ただ、書評してきた作品は本当に好きな作品でしたので、振り返ってみると「ああ、この時にはこんな思いでこの作品を読んでたんだな」とか、そんな目で過去を回顧する事も出来るようにはなりました。その価値は、プライズレス……というか、無償ですね、単に。
これからも書評は書くかもしれませんね。それは単に面白い作品を読んだ時だったかもしれないし、面白いのにあまりにも売れてないのが面白くなくて、一丁風穴を空けてやろうみたいな、そんな思いがございました。どちらにしても個人的なモチベーション以外は存在しないかと。
そう考えると、たまには書評もするかもしれませんね。
でも書評の反応と売上はまったく別物であるというデータは念頭に置いておかねばなりますまい。
自分のためにも、書評が政治の道具にならないためにも。
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