正義って相対的なもんなんですよねえ……
- 2018/08/13
- 02:30
小説と比べ、ボクサーだった事は割と公然と知られているので、最近よくアマチュアボクシング連盟のいざこざについて意見を訊かれます。
末端勢力ではあったものの、私もプロ・アマ両方経験がありますので、「山根会長の件をどう思いますか?」って訊かれると、
「ま~おかしな判定だったら先代の頃から普通にありましたけどね(笑)」
と答えるようにしています。
というのも、ある意味勝負事の鉄則というか、おそらく怖いからみんな口にしない事なんでしょうが、アウェーで勝ちたかったら敵を殺すぐらいの勢いでいかないとダメなんですよね。
おそらくどんな格闘技でも存在する用語で「名前勝ち」という言葉があります。
これは「名前負け」の逆を意味する言葉ではありません。
それは、要は名前のある方が勝つという(ある意味真っ当な 笑)法則です。
訴訟が怖いから名前は伏せますけど(笑)「これ普通に俺が勝っただろう」という内容でも、相手の方がそのスポーツで有名校で、いくらかハメても「ああ、そういう見方もありますよね」みたいな余地が残っていると、相手の手が上がってしまう事は普通にあります。
あってはいけない事なんですけど、先入観ってやっぱりありますからね。
巨人の選手って言われたら全然名前を知らなくても「多分ホームランバッターなんだろうな」と思うのと同じ現象ですよ。今の巨人がどうかは1ミリも知らないですけど。
○○判定(訴訟が怖いからやっぱり名前は出さない 笑)が覆された時、実は私、現場にてその瞬間を見ていたんですけども、やっぱり逆転する側の気迫っていうか、殺気というか、勝利へ向かう貪欲な気迫というのはそらすごいもんでしたよ。
山根会長は消えるかもしれませんけど、じゃあその後に変な判定が消えるかっていうと、それは無いんじゃないかっていうか、ただ単に憎まれる対象が変わるだけなんじゃねーかっていう変な絶望があるんですよね(笑)。
魔王を倒したら世界が平和になるみたいな単純なものじゃなくて、人間というものが存在する限り、どうしても相対的な善悪は存在するわけです。悪人のいない所で善人は存在出来ません。善人しかいなければそれはただ一括りに人間として分類されるわけで、つまりカテゴライズする意味が無いからです。
まあ逆に言えばですけど、だからこそ恐ろしいまでの不条理が覆される「事件」が起こる時っていうのはワクワクするもんなんですよね。
この先あの業界がどうなるかは知りませんけど、暴対法が原因で野良ヤクザが増えたと言われるように、まとまってた悪を裁いた事によって案外ややこしくなっちゃうかもね……という予感もします。たとえば、後釜を巡る醜い政治や争い等ですね。
まあ選手の方は頑張って下さい。遠く、安全なところから密かに応援しております。
とここまではまさかの前フリでしてね、私の小説ではそういう「反対側の視点から見たらどうなのか?」みたいなアプローチが結構あるんですよね。
それは桃太郎の鬼退治が原因で故郷を追われた娘の復讐を描いた「鬼娘の千倍返し」然り、イジメっ子が怨霊になって復讐する「ジャスティス」しかり、先日別名義で出した「男性視点から見たら夏の甘酸っぱいエロ恋物語で女子視点かた見たらレイプに遭う最悪な一日の描写」であったり……最後のやつは少々悪フザケが過ぎましたが(笑)。
どれも共通しているものっていうのは正義って絶対的なものじゃないという事なんですよね。
過去に行われた聖戦がなんで聖戦でいられるかって訊かれたら、それはその戦いをより多くの人が支持しただけの話なんですよね。要は視点の問題です。一方の正義が他方にも正義とは限らず、むしろそうでない事の方が多いから世界から軋轢は無くならないのです。
それを考えるとね、大人になってあらためて正義とはなんぞやという話が出てくるのですよね。
高校生の頃は害虫でも見るような目でナベツネとか見ていましたが、よくよく見てるとあの人の支援で救われたスポーツ選手っていっぱいいるんですよね。そう考えるとやっぱり短絡的なものの見方はいかんよなあと。
アマチュアボクシング連盟が「山根政権の方が100倍マシだった」と言われる方向に進まない事を切に願っております。
末端勢力ではあったものの、私もプロ・アマ両方経験がありますので、「山根会長の件をどう思いますか?」って訊かれると、
「ま~おかしな判定だったら先代の頃から普通にありましたけどね(笑)」
と答えるようにしています。
というのも、ある意味勝負事の鉄則というか、おそらく怖いからみんな口にしない事なんでしょうが、アウェーで勝ちたかったら敵を殺すぐらいの勢いでいかないとダメなんですよね。
おそらくどんな格闘技でも存在する用語で「名前勝ち」という言葉があります。
これは「名前負け」の逆を意味する言葉ではありません。
それは、要は名前のある方が勝つという(ある意味真っ当な 笑)法則です。
訴訟が怖いから名前は伏せますけど(笑)「これ普通に俺が勝っただろう」という内容でも、相手の方がそのスポーツで有名校で、いくらかハメても「ああ、そういう見方もありますよね」みたいな余地が残っていると、相手の手が上がってしまう事は普通にあります。
あってはいけない事なんですけど、先入観ってやっぱりありますからね。
巨人の選手って言われたら全然名前を知らなくても「多分ホームランバッターなんだろうな」と思うのと同じ現象ですよ。今の巨人がどうかは1ミリも知らないですけど。
○○判定(訴訟が怖いからやっぱり名前は出さない 笑)が覆された時、実は私、現場にてその瞬間を見ていたんですけども、やっぱり逆転する側の気迫っていうか、殺気というか、勝利へ向かう貪欲な気迫というのはそらすごいもんでしたよ。
山根会長は消えるかもしれませんけど、じゃあその後に変な判定が消えるかっていうと、それは無いんじゃないかっていうか、ただ単に憎まれる対象が変わるだけなんじゃねーかっていう変な絶望があるんですよね(笑)。
魔王を倒したら世界が平和になるみたいな単純なものじゃなくて、人間というものが存在する限り、どうしても相対的な善悪は存在するわけです。悪人のいない所で善人は存在出来ません。善人しかいなければそれはただ一括りに人間として分類されるわけで、つまりカテゴライズする意味が無いからです。
まあ逆に言えばですけど、だからこそ恐ろしいまでの不条理が覆される「事件」が起こる時っていうのはワクワクするもんなんですよね。
この先あの業界がどうなるかは知りませんけど、暴対法が原因で野良ヤクザが増えたと言われるように、まとまってた悪を裁いた事によって案外ややこしくなっちゃうかもね……という予感もします。たとえば、後釜を巡る醜い政治や争い等ですね。
まあ選手の方は頑張って下さい。遠く、安全なところから密かに応援しております。
とここまではまさかの前フリでしてね、私の小説ではそういう「反対側の視点から見たらどうなのか?」みたいなアプローチが結構あるんですよね。
それは桃太郎の鬼退治が原因で故郷を追われた娘の復讐を描いた「鬼娘の千倍返し」然り、イジメっ子が怨霊になって復讐する「ジャスティス」しかり、先日別名義で出した「男性視点から見たら夏の甘酸っぱいエロ恋物語で女子視点かた見たらレイプに遭う最悪な一日の描写」であったり……最後のやつは少々悪フザケが過ぎましたが(笑)。
どれも共通しているものっていうのは正義って絶対的なものじゃないという事なんですよね。
過去に行われた聖戦がなんで聖戦でいられるかって訊かれたら、それはその戦いをより多くの人が支持しただけの話なんですよね。要は視点の問題です。一方の正義が他方にも正義とは限らず、むしろそうでない事の方が多いから世界から軋轢は無くならないのです。
それを考えるとね、大人になってあらためて正義とはなんぞやという話が出てくるのですよね。
高校生の頃は害虫でも見るような目でナベツネとか見ていましたが、よくよく見てるとあの人の支援で救われたスポーツ選手っていっぱいいるんですよね。そう考えるとやっぱり短絡的なものの見方はいかんよなあと。
アマチュアボクシング連盟が「山根政権の方が100倍マシだった」と言われる方向に進まない事を切に願っております。
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