強迫観念の裏に
- 2018/06/26
- 11:21
よくね、なんでそんなに書き急ぐのですか? みたいな質問をされる事があります。多分ハンパ無いスピードで新作をリリースし続けたからそう言われるんだと思うんですけど。
理由はよく分かんないです。
分かんないんだけど、ちょっと思い当たるフシが一個あったのでそれを備忘録代わりに書き残しておこうかなと。
よく書くのがしんどくなってくると(特に退屈な作業が続く推敲のあたり)「今やれ。明日死んだらどうすんだ?」って自分によく言い聞かせているんですよね。
なんでかな、って考えた時に、この年になってくると周囲の人間やらペットやらがポックリ逝ってしまう事が増えてくるんですよね。
先日亡くなった愛犬しかり、プロミス・リング執筆のきっかけになった友人の死しかり、先日まで笑顔で挨拶を交わしていた奴らが急に居なくなってしまうんですよね。
当然こっちは心の準備なんか出来ているはずもなくて、悲しんでいる間もなく亡骸は火葬されて煙になって、それから空に溶けてしまう。
記憶も、そいつとの思い出もだんだん薄まってきてしまって、嫌だなって思っているのにそれはどんどん薄まっていって、いくらかするとまるでその人は本当に存在していたのかとか、そんな気分にすらなってしまう。
それでも心のどこかに空いた穴っていうのはしっかり残っていて、風が吹くと、それが時々疼くんですよね。
私だけかもしれないですけど、故人を思い出す時に何をするかっていうと、その足跡やら彼の生み出したもの、言葉なんかを足がかりにする傾向がありまして、作家で言ったらそれは作品なのかなと。伊藤計劃とかは有名ですよね。音楽ならhideなんですかね。
自分がその域になれるとは当然思ってないですけど、これだけ人生に死が横たわっているとね、死の存在って十代の頃とか二十代の頃よりもさらに色濃く身近になってくるんですよね。
そうなるとね、当然自分が死んだ時の事も考えたりするわけですよ。
基本的にはいつ死んでも後悔しない人生を歩んで来たつもりではありますけど、それでも明日死ぬんだったら残ってる作品は一個でも多い方がいいなと。そうなると自然と書くスピードも早くなるんですかね。
「紅い雨、晴れてのち虹」で「俺が死んだら俺の事を忘れないでくれ。そうすれば俺はいつでも君の中で生きていられる」みたいなセリフがあったかと記憶しているんですが、あれは半分ぐらい実話で、プロボクサーになると決めた時にとある女性に言った事はありますね。
ただ、後から顧みるとあまりにも悲壮感が凄すぎるというか、言われた方は重過ぎるという事で、以後は(たとえ心の中では死ぬかもしれないと思っていても)「それじゃあ、言ってくるよ」と言って笑うようにしました。その人の心で最後に残っている顔は笑顔であって欲しかったというのもありますかね。
よく掘り起こされるhideなんかもねえ、結局はやってる事が楽しかったからそうなるんじゃないかと。悲しい気持ちで思い出されるよりも笑い話として思い出して欲しいですよね。少なくとも私はそう思います。
とまあよく分かんない方向に話は行きましたが、今後何らかの形で私は何かを残し続けるでしょう。たとえこの月狂四郎という作家名が死んだとしても。
……大丈夫です。活動をやめるとか、そう意味では無いので。
やめさせたい人はいくらかいるみたいですが(笑)。
セルパブの世界を見てると個人作家の方も血液みたいに流れては消えている気がしますが、私は癌のようにしばらく残り続けてやるぞと(笑)。
理由はよく分かんないです。
分かんないんだけど、ちょっと思い当たるフシが一個あったのでそれを備忘録代わりに書き残しておこうかなと。
よく書くのがしんどくなってくると(特に退屈な作業が続く推敲のあたり)「今やれ。明日死んだらどうすんだ?」って自分によく言い聞かせているんですよね。
なんでかな、って考えた時に、この年になってくると周囲の人間やらペットやらがポックリ逝ってしまう事が増えてくるんですよね。
先日亡くなった愛犬しかり、プロミス・リング執筆のきっかけになった友人の死しかり、先日まで笑顔で挨拶を交わしていた奴らが急に居なくなってしまうんですよね。
当然こっちは心の準備なんか出来ているはずもなくて、悲しんでいる間もなく亡骸は火葬されて煙になって、それから空に溶けてしまう。
記憶も、そいつとの思い出もだんだん薄まってきてしまって、嫌だなって思っているのにそれはどんどん薄まっていって、いくらかするとまるでその人は本当に存在していたのかとか、そんな気分にすらなってしまう。
それでも心のどこかに空いた穴っていうのはしっかり残っていて、風が吹くと、それが時々疼くんですよね。
私だけかもしれないですけど、故人を思い出す時に何をするかっていうと、その足跡やら彼の生み出したもの、言葉なんかを足がかりにする傾向がありまして、作家で言ったらそれは作品なのかなと。伊藤計劃とかは有名ですよね。音楽ならhideなんですかね。
自分がその域になれるとは当然思ってないですけど、これだけ人生に死が横たわっているとね、死の存在って十代の頃とか二十代の頃よりもさらに色濃く身近になってくるんですよね。
そうなるとね、当然自分が死んだ時の事も考えたりするわけですよ。
基本的にはいつ死んでも後悔しない人生を歩んで来たつもりではありますけど、それでも明日死ぬんだったら残ってる作品は一個でも多い方がいいなと。そうなると自然と書くスピードも早くなるんですかね。
「紅い雨、晴れてのち虹」で「俺が死んだら俺の事を忘れないでくれ。そうすれば俺はいつでも君の中で生きていられる」みたいなセリフがあったかと記憶しているんですが、あれは半分ぐらい実話で、プロボクサーになると決めた時にとある女性に言った事はありますね。
ただ、後から顧みるとあまりにも悲壮感が凄すぎるというか、言われた方は重過ぎるという事で、以後は(たとえ心の中では死ぬかもしれないと思っていても)「それじゃあ、言ってくるよ」と言って笑うようにしました。その人の心で最後に残っている顔は笑顔であって欲しかったというのもありますかね。
よく掘り起こされるhideなんかもねえ、結局はやってる事が楽しかったからそうなるんじゃないかと。悲しい気持ちで思い出されるよりも笑い話として思い出して欲しいですよね。少なくとも私はそう思います。
とまあよく分かんない方向に話は行きましたが、今後何らかの形で私は何かを残し続けるでしょう。たとえこの月狂四郎という作家名が死んだとしても。
……大丈夫です。活動をやめるとか、そう意味では無いので。
やめさせたい人はいくらかいるみたいですが(笑)。
セルパブの世界を見てると個人作家の方も血液みたいに流れては消えている気がしますが、私は癌のようにしばらく残り続けてやるぞと(笑)。
スポンサーサイト