死んでいる。色々と死んでいる
- 2017/07/18
- 17:00
羽田圭介の「コンテクスト・オブ・ザ・デッド」を読了しました。
気付く人は気付いていたかもしれませんが、最近折りに触れて語っていたゾンビ物の小説はこれのことだったのですね。
本作はねえ、最初の部分が読みたくて買ったんですよね。
現代人がゾンビに遭遇したらどんなリアクションをするのかみたいなのが風刺的アプローチで語られていて、その部分が面白かったですね。
が、既報の通りそれが延々と続く20%を過ぎたあたりからお腹いっぱいになってきて、だんだん読むのがしんどくなってきます(笑)。なんていうか、省いてもいい類型の反応までいちいち書いているせいなんだと思いますが。今思えば高度な「お払い」だったのではないかという気がしないでもありません。
しかーし、頑張って読み続けると85%あたりから急に面白くなります。
というのも、このあたりから本作は急に深くなるからです。
よくねえ、ゾンビの発生原因みたいなのって、既存の作品だとおざなりなイメージがあるんですけど、本作は作家になれなかったわなびを取っ掛かりにして、ふいに世間の文脈やら予定調和を避けられない現代人が気が付いたらゾンビになっていました的なアプローチでゾンビ発生の原因が明らかになってくるのですよ。
とうとう芥川賞作家までが内輪ネタに手を染めるのですが(月狂四郎、大喜び)、まるで「内輪ネタじゃないか」という批判を見越していたかのように綴られる(実際わざとやっているのでしょう)閉じられた世界への絶望感……(笑)。
ちなみに以前ブログで書いたワナビに噛まれるとワナビになる(ゾンビ式)のアイディアがかぶっていましたね。いつか書いてやろうと思っていた「わなびハザード」やら「わなび・オブ・デッド」やらは消滅ですね。仕方ない。だって俺のアイディアは、芥川賞作家とカブっていたんだからね(ドヤ顔)。
それはそれとして、本作には世界がオリジナリティーを求めておらず、あえてテンプレに埋没してもすぐに忘れられてしまう現代芸術化全般に渡る絶望が描かれていますね。コミカルに書かれているからそこまで深刻には見えないんですけど。でも、文脈より深刻な気がします。
ずいぶん前から言ってきたし世間でも言われている事なんですけど、現代では無数の村社会が世界中に出来上がっていて、各コロニーは無駄にハイコンテクストな世界で、もっと簡単に言うと阿吽の呼吸だけで通じている。だけど外部からはワケ分からん奴らになっていて、各々が妙に自意識をこじらせては変な息苦しさに呻いている。そんな時代ですね。
それを本作は結構露骨に当てこすっているというか、自分すらも含めて爆撃しているというか(笑)、自虐的でありながらも他者のプライドをガリガリ傷付け、それでいてメガンテみたいな警鐘を鳴らしているのです。
おそらく芥川賞を獲った作者本人ですら世間の作り出した文脈から逃れられずに呻いていて、これからも呻いていかないと嘆きながらもどうにかそこから抜け出してやるぞみたいに抵抗しているのだと思います。
前述の通り、本作を5分の1ぐらい読んだところで読むのをやめるかどうか悩んだのですが、最後まで読んで良かったなと。
惜しむらくは多くの読者が序盤でお腹いっぱいになってしまい、最後までたどり着けないのではないかという懸念ですかね。読解力の無い人は最後まで行っても「つまんない」って言うだろうし、「ただの思いつき」っていう意見も納得は出来る気がしますね。ただ、よくよく見るととんでもない思いつき作品なんですけど。
でも嫌いな人は嫌いでしょうね。途中でやめたら作品を理解しないままリタイアした人になってしまうし、読んだら読んだで問答無用で文脈にからめとられてしまうから、読者はどうあがいてもこの作品に、そして文脈に勝つ事が出来ない(笑)。何か書けば負け惜しみになる。結構嫌味な作品とも取れるかもしれません。
無駄な文章を省いて4分の3ぐらいにしたらもっと爆発したんじゃないかなとは思うんですが。舞城王太郎の文章なんかはこういう作品を一気読みさせるのに適していますよね。ちなみに「これ以上は無理だろう」と思ったメタ作品は「ディスコ探偵水曜日」ですね。
芥川賞の作家ですら飛び道具を使いだした昨今、文学という代物ははたしてどこに向かって行くんでしょうね?
さらに「分かる人にしか分からない」世界の穴を掘り下げてどこまでも行ってしまうのか。
そろそろ真剣に実力派の美人女子高生作家に出てきてもらいところです。
いや、実際のところ、そういう人しか文学界を救えない気がするのです。
私のゾンビ物もよろしく!
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