魑魅魍魎
- 2017/05/20
- 12:36
いまだに週一で個人作家のツイッターを覗いて回っているんだけど、電書ちゃんがえらく静かになっている。いや、他の懇意にしていた作家もだいぶ大人しくなったか?
吠えない個人作家やら燃えない赤毛など泣かない番犬みたいなものだというのに。
まるで高級路線を歩みだした古本屋の勘違いみたいだ。
なにやら寂しいなとは思いつつも、活動休止している奴が言う台詞じゃないよなと思い直す。所詮は戯言よ。
ところでツイッターアカウントを持たないこちらとしては、宣伝のリツイートは結構面倒くさいっていうか、あればあるほど「つまんね〜」って思う印象があるような気がする。これは閲覧方法が特殊なのもあるけど。
あくまで個人的な見解だけど、やはりツイッター覗きをする側の立場としては、その人の生の声が聞きたいのだなと。
もちろんリツイートのセンスもあるんだろうけど、はっきり言ってその人の言葉じゃねーし(笑)。
ジャスティン・ビーバーが「面白い」って言ったからアッポペンの人も売れたんであって、逆のアプローチで「僕を見て下さい」方式で有名人の名前を借りようとしようもんなら大抵猛反発に遭う運命にある。
好きなタイプの呟きを訊かれたら、やっぱりどうでもいいような話題を面白く喋るような人が好きだなと。つまり雑談が面白い人。
私に嫌われたければツイートを宣伝とウソくさい大望(くれぐれも具体性や実現の匂いを漂わせてはいけない)で埋め尽くしたらいい。
冗談もそこそこに、やはり言葉とは表現で、それを借り物として使うには限度があるのだなと思う。
最近はパクツイやら人の表現を盗んで自分の株を上げようとする輩もいるけれど、やはりその人の言葉でないものをいくら提供しようとも、そこに漂う偽物っぽさはどうしても鼻につく。
そもそもそういう人は活動の根本的衝動を間違えている。金儲けだろうが芸術だろうが、観客にエンタメを提供する人間の精神的スタミナは基本無限である。
だが承認欲求で動いている人(どこぞで似たような話のブログを見たけど)は精神的スタミナが決して無限ではない。しかも大体が打たれ弱い。
見返りを求める努力は大抵失敗するものと相場が決まっている。そうなると心が折れてしまうのだ。大抵は。
なぜなら、承認願望をモチベーションにしている人は誰にも認められない事が成否に直結してしまうばかりか、その脆い基盤を自分の足元に据えてしまうだけ精神的に未熟だからだ。
そうなると大体小細工ばかりに走る事になる。本当に応援してくれる人をおいてきぼりにして、気付いたらそっぽを向かれる運命にある。
その内誰も信じられなくなり(以下自重)となるため、結局は楽に自分の言葉で話していく事が何よりも楽なプロモーションでありコミュニケーションである事に気付くのだ。
さて、散々嫌味を言ったところでもうあなたは気付いている事だろう。あなたとはあなたの事だ。
結論としては、何か面白い事を言え。
以上。
追記
元妻がコラボを始めたのを見た。
今回は諸般の事情で参加出来ないが、陰ながら応援している。
とびっきりの変態コラボを目指してほしい。
タイトルは「変人だもん」とか「変態アンソロジー魑魅魍魎」とか「奇人乱舞」とか「出会って◯秒で合体。狂気乱舞」とかにすればいい。
(他人事だから言いたい放題なのは言うまでもない)
メンバーに隙間社さんやら手品師の弟子の人やらを誘って、評価の分かれるアルバム的な歪さを演出すれば最高だ。変態が万人受けを狙う理由など1ミリも無い。
U2になる必要はない。アレック・エンパイアを狙え。
吠えない個人作家やら燃えない赤毛など泣かない番犬みたいなものだというのに。
まるで高級路線を歩みだした古本屋の勘違いみたいだ。
なにやら寂しいなとは思いつつも、活動休止している奴が言う台詞じゃないよなと思い直す。所詮は戯言よ。
ところでツイッターアカウントを持たないこちらとしては、宣伝のリツイートは結構面倒くさいっていうか、あればあるほど「つまんね〜」って思う印象があるような気がする。これは閲覧方法が特殊なのもあるけど。
あくまで個人的な見解だけど、やはりツイッター覗きをする側の立場としては、その人の生の声が聞きたいのだなと。
もちろんリツイートのセンスもあるんだろうけど、はっきり言ってその人の言葉じゃねーし(笑)。
ジャスティン・ビーバーが「面白い」って言ったからアッポペンの人も売れたんであって、逆のアプローチで「僕を見て下さい」方式で有名人の名前を借りようとしようもんなら大抵猛反発に遭う運命にある。
好きなタイプの呟きを訊かれたら、やっぱりどうでもいいような話題を面白く喋るような人が好きだなと。つまり雑談が面白い人。
私に嫌われたければツイートを宣伝とウソくさい大望(くれぐれも具体性や実現の匂いを漂わせてはいけない)で埋め尽くしたらいい。
冗談もそこそこに、やはり言葉とは表現で、それを借り物として使うには限度があるのだなと思う。
最近はパクツイやら人の表現を盗んで自分の株を上げようとする輩もいるけれど、やはりその人の言葉でないものをいくら提供しようとも、そこに漂う偽物っぽさはどうしても鼻につく。
そもそもそういう人は活動の根本的衝動を間違えている。金儲けだろうが芸術だろうが、観客にエンタメを提供する人間の精神的スタミナは基本無限である。
だが承認欲求で動いている人(どこぞで似たような話のブログを見たけど)は精神的スタミナが決して無限ではない。しかも大体が打たれ弱い。
見返りを求める努力は大抵失敗するものと相場が決まっている。そうなると心が折れてしまうのだ。大抵は。
なぜなら、承認願望をモチベーションにしている人は誰にも認められない事が成否に直結してしまうばかりか、その脆い基盤を自分の足元に据えてしまうだけ精神的に未熟だからだ。
そうなると大体小細工ばかりに走る事になる。本当に応援してくれる人をおいてきぼりにして、気付いたらそっぽを向かれる運命にある。
その内誰も信じられなくなり(以下自重)となるため、結局は楽に自分の言葉で話していく事が何よりも楽なプロモーションでありコミュニケーションである事に気付くのだ。
さて、散々嫌味を言ったところでもうあなたは気付いている事だろう。あなたとはあなたの事だ。
結論としては、何か面白い事を言え。
以上。
追記
元妻がコラボを始めたのを見た。
今回は諸般の事情で参加出来ないが、陰ながら応援している。
とびっきりの変態コラボを目指してほしい。
タイトルは「変人だもん」とか「変態アンソロジー魑魅魍魎」とか「奇人乱舞」とか「出会って◯秒で合体。狂気乱舞」とかにすればいい。
(他人事だから言いたい放題なのは言うまでもない)
メンバーに隙間社さんやら手品師の弟子の人やらを誘って、評価の分かれるアルバム的な歪さを演出すれば最高だ。変態が万人受けを狙う理由など1ミリも無い。
U2になる必要はない。アレック・エンパイアを狙え。
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