3枚の原稿用紙
- 2017/05/13
- 15:16
小学生あるあるで作文を書かされるというものがあるが、あれって割と害悪なんじゃないかと思う。
文章を書く事だけを練習するならまったく構わないのだけど、よくある「原稿用紙3枚以上書きなさい」みたいな条件は駄文家を量産する土壌になっていやしないか。
最低ラインを満たすために子供は妙ちきりんな文章で文字数を稼ごうとする傾向になるし。日本人は文章を削るのではなく、貧乏仕様のカルピスみたいに不必要な水増しをしたら褒められる文化があるのだと思う。
子供の頃、クソつまんない文章を原稿用紙5枚いたという理由だけで褒められている生徒がいて、まだこの理由に気付いていない私は違和感全開だった。でも言えなかった。それは枚数を書いた人が偉いとされる文化があったからだ。
文章の付け足しには色々なやり方がある。
一番身近でセコい方法はあえて一番文字数を稼ぐような表記を選択する事。
もう少し建設的になると「それ、必要か?」というエピソードを付け足しまくるという話。こういうしょうもない駄文家に賞賛を与えるから色々とおかしな事になる。
国語教師が理解していないのは、作家の文章は無駄を削った上で長い作品も存在するよという事実なのだ。プロはカルピスを倍薄めるような書き方はしない。
思えば小学生時代の作文は大嫌いだった。それがかえって良かったのだろう。そして、いわゆる「優秀な生徒」の書いた作文がひどくつまらなく、まったく魅力を感じなかったという感覚は正しかったのだ。そこには目に見えて無駄な文章が散見されたからだ。
ついでに思い出したけど、不良っぽい友達の書いた悪口全開の作文の方が人間味溢れて遙かに面白かった。許されないはずの表現を無知から来る純粋さで何のためらいもなく書く姿は清々しく映った。
思えば大人になってから小説を書きだした人の方が作家には向いているのかもしれない。
自分で判断力が付く前の段階で変なデータを押し付けられていないし、仮にキャリア開始後にそうなってもデータの選択が出来る。
じゃあどうしたら学校教育は良くなるのだろうと考えたけど、単純な話、一様に物語を作り上げる練習には無理があるのではないかと。
好き勝手書かせてみて、それなりに受け止めてあげるのが一番いいのかなとも思う。
思えば中学校の卒業文集は締切ギリギリに受験にまつわる周囲の人間への恨みつらみを書いたのだった。そうしないとボツを食らうのを知っていたから確信犯だ。
手元に無いから確認不可能だけど、きっと私の文章が一番生々しくて面白いに違いない。そこには世間体やらアイドル顔負けのイメージ戦略に飼い慣らされた追従的態度など微塵も無いのだから。
それは生々しく、まさに人間の一面を表しているのだ。
文章を書く事だけを練習するならまったく構わないのだけど、よくある「原稿用紙3枚以上書きなさい」みたいな条件は駄文家を量産する土壌になっていやしないか。
最低ラインを満たすために子供は妙ちきりんな文章で文字数を稼ごうとする傾向になるし。日本人は文章を削るのではなく、貧乏仕様のカルピスみたいに不必要な水増しをしたら褒められる文化があるのだと思う。
子供の頃、クソつまんない文章を原稿用紙5枚いたという理由だけで褒められている生徒がいて、まだこの理由に気付いていない私は違和感全開だった。でも言えなかった。それは枚数を書いた人が偉いとされる文化があったからだ。
文章の付け足しには色々なやり方がある。
一番身近でセコい方法はあえて一番文字数を稼ぐような表記を選択する事。
もう少し建設的になると「それ、必要か?」というエピソードを付け足しまくるという話。こういうしょうもない駄文家に賞賛を与えるから色々とおかしな事になる。
国語教師が理解していないのは、作家の文章は無駄を削った上で長い作品も存在するよという事実なのだ。プロはカルピスを倍薄めるような書き方はしない。
思えば小学生時代の作文は大嫌いだった。それがかえって良かったのだろう。そして、いわゆる「優秀な生徒」の書いた作文がひどくつまらなく、まったく魅力を感じなかったという感覚は正しかったのだ。そこには目に見えて無駄な文章が散見されたからだ。
ついでに思い出したけど、不良っぽい友達の書いた悪口全開の作文の方が人間味溢れて遙かに面白かった。許されないはずの表現を無知から来る純粋さで何のためらいもなく書く姿は清々しく映った。
思えば大人になってから小説を書きだした人の方が作家には向いているのかもしれない。
自分で判断力が付く前の段階で変なデータを押し付けられていないし、仮にキャリア開始後にそうなってもデータの選択が出来る。
じゃあどうしたら学校教育は良くなるのだろうと考えたけど、単純な話、一様に物語を作り上げる練習には無理があるのではないかと。
好き勝手書かせてみて、それなりに受け止めてあげるのが一番いいのかなとも思う。
思えば中学校の卒業文集は締切ギリギリに受験にまつわる周囲の人間への恨みつらみを書いたのだった。そうしないとボツを食らうのを知っていたから確信犯だ。
手元に無いから確認不可能だけど、きっと私の文章が一番生々しくて面白いに違いない。そこには世間体やらアイドル顔負けのイメージ戦略に飼い慣らされた追従的態度など微塵も無いのだから。
それは生々しく、まさに人間の一面を表しているのだ。
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