栗とリスとクライスト
- 2017/04/15
- 12:36
まだまだ迷惑な人間観察は続いている。
最近は地味に語彙を増やす努力をしてきたせいか、外人の上司から通訳を呼べと言われる回数もかなり減った。
ついでに壊滅的な英語力のメンバーにはかなり信憑性の乏しい翻訳もするようになった。
やっぱり作家のせいか、文章の方がコミュニケーション能力が高いらしい。文章でのコミュニケーションの方が歓迎されるが、バカにされているだけなのかどうかは微妙なところだ。まあ文章の方が書き直しが利く分テンパらないからな。
それはそれとして、現在の職場環境はぶっちゃけアウェーだ。だが、見方によっては自分を成長させるためのまたとないチャンスという解釈も出来る。
が、前に話したアイキャントスピークイングリッシュが口癖の同僚はいまだに英語が上達する気配が無い。
ふと思ったのだが、恵まれた才能という要素以上に、その人の意気込みは人生の明暗をかなり分けていやしないか。
あんまり人の悪口ばかり書くのもアレなんだけど、外人の上司とコミュニケーションをしなければいけない環境って、言い換えたら無料で英会話教室に通っているのと同じわけで、しかも上手くならないから退会とかも出来ないわけだ。クビにするのは向こうだし。
ある意味これ以上の環境は存在しないだろう。
だがアイキャントスピークイングリッシュ君はその環境に文句を言うばかりで一向に成長する気配が無い。
そのくせ成長する機会は模索しているわけだ。目の前にあるのに。
自分よりヘボい奴を引き合いに自らを誇示するつもりは無いが、こうやってあらゆる恵まれた環境をアウェーに変えてしまう人はいる。
視点の問題とはよく言ったものだ。誰かがげんなりするような険しい山は、登山家から見たらワクワクする場所になる。
それは山が険しい分だけ自分を研鑽出来るからだ。修練を遊び感覚でやっている人には誰も勝てない。
どこの世界でも自分を取り巻く環境に文句ばかり言っている人間は嫌われる。俺はお前のママじゃねえという怒りがその嫌悪感の根底にはあるのだろう。
対して環境に対応していこうという気概を持った人は通訳を任されたりしてより成長のチャンスを掴んでいくわけだ。じきに環境は敵から味方に切り替わる。その差はみるみる開いていく。
経験をしようという気概も、経験を与えられる回数も、それを乗り越えなければいけない責任も、何よりも人生に取り組む姿勢すらもまるで別物になる。
だからトップにいる人間は最初から最後までトップに居座りやすいのだ。トップをひた走る人間は生きる姿勢からして違う。
何をするにしても他者よりも何かを多く学ぼうという姿勢。それこそが頂点に登りつめるにあたって肝要となる。
逆に言えばそれが無い人間は何をやっても失敗に終わる。そりゃそうだろう。そんな奴は姿勢で既に負けている。
まあ、目の前の環境がどうにもならないくらい困難に見える時は確かにある。だけど、それ以上にそこから得られるものを大事にして自分の能力を増やしていかなければ人間に成長など無い。
今一度自分を取り囲む環境を見てみよう。誰かはあなたと同じ環境に身を置くために金を払うかもしれない。もしそうなら、その要素は何だ?
もしそれが明らかになっているなら、それを利用して、独自性をひたすら強化する。恵まれているかいないかなんてその人の出した結果次第でいくらでも評価は変わる。上手くいった人間は地獄にいても恵まれた環境にいたと言われるものなのだ。
大事な事はそこから何を得られるのか、何を得ようとしているか。
結局は自分次第だ。環境のせいにしている内は、人間は少しも成長出来ない。
自分の不遇すらも武器に出来る図々しさ。それが出来るかも創作家として有能になれるかの指標になり得るだろう。
これが当てこすりに聞こえるなら、あなたが歯痒さを感じている証拠だろう。他ならぬあなた自身に。
追記
この記事を書き溜めて投稿しようと思ったらアイキャントスピークイングリッシュさんがふいにやる気を出して英語に取り組みだした。
以来コミュニケーションの拡張と順当な能力の向上を楽しんでいるようだ。
やっぱり苦手な事でも向き合う努力は必要だという事か。生きる姿勢が人生の大半を決めてしまうのは間違いないようだ。
最近は地味に語彙を増やす努力をしてきたせいか、外人の上司から通訳を呼べと言われる回数もかなり減った。
ついでに壊滅的な英語力のメンバーにはかなり信憑性の乏しい翻訳もするようになった。
やっぱり作家のせいか、文章の方がコミュニケーション能力が高いらしい。文章でのコミュニケーションの方が歓迎されるが、バカにされているだけなのかどうかは微妙なところだ。まあ文章の方が書き直しが利く分テンパらないからな。
それはそれとして、現在の職場環境はぶっちゃけアウェーだ。だが、見方によっては自分を成長させるためのまたとないチャンスという解釈も出来る。
が、前に話したアイキャントスピークイングリッシュが口癖の同僚はいまだに英語が上達する気配が無い。
ふと思ったのだが、恵まれた才能という要素以上に、その人の意気込みは人生の明暗をかなり分けていやしないか。
あんまり人の悪口ばかり書くのもアレなんだけど、外人の上司とコミュニケーションをしなければいけない環境って、言い換えたら無料で英会話教室に通っているのと同じわけで、しかも上手くならないから退会とかも出来ないわけだ。クビにするのは向こうだし。
ある意味これ以上の環境は存在しないだろう。
だがアイキャントスピークイングリッシュ君はその環境に文句を言うばかりで一向に成長する気配が無い。
そのくせ成長する機会は模索しているわけだ。目の前にあるのに。
自分よりヘボい奴を引き合いに自らを誇示するつもりは無いが、こうやってあらゆる恵まれた環境をアウェーに変えてしまう人はいる。
視点の問題とはよく言ったものだ。誰かがげんなりするような険しい山は、登山家から見たらワクワクする場所になる。
それは山が険しい分だけ自分を研鑽出来るからだ。修練を遊び感覚でやっている人には誰も勝てない。
どこの世界でも自分を取り巻く環境に文句ばかり言っている人間は嫌われる。俺はお前のママじゃねえという怒りがその嫌悪感の根底にはあるのだろう。
対して環境に対応していこうという気概を持った人は通訳を任されたりしてより成長のチャンスを掴んでいくわけだ。じきに環境は敵から味方に切り替わる。その差はみるみる開いていく。
経験をしようという気概も、経験を与えられる回数も、それを乗り越えなければいけない責任も、何よりも人生に取り組む姿勢すらもまるで別物になる。
だからトップにいる人間は最初から最後までトップに居座りやすいのだ。トップをひた走る人間は生きる姿勢からして違う。
何をするにしても他者よりも何かを多く学ぼうという姿勢。それこそが頂点に登りつめるにあたって肝要となる。
逆に言えばそれが無い人間は何をやっても失敗に終わる。そりゃそうだろう。そんな奴は姿勢で既に負けている。
まあ、目の前の環境がどうにもならないくらい困難に見える時は確かにある。だけど、それ以上にそこから得られるものを大事にして自分の能力を増やしていかなければ人間に成長など無い。
今一度自分を取り囲む環境を見てみよう。誰かはあなたと同じ環境に身を置くために金を払うかもしれない。もしそうなら、その要素は何だ?
もしそれが明らかになっているなら、それを利用して、独自性をひたすら強化する。恵まれているかいないかなんてその人の出した結果次第でいくらでも評価は変わる。上手くいった人間は地獄にいても恵まれた環境にいたと言われるものなのだ。
大事な事はそこから何を得られるのか、何を得ようとしているか。
結局は自分次第だ。環境のせいにしている内は、人間は少しも成長出来ない。
自分の不遇すらも武器に出来る図々しさ。それが出来るかも創作家として有能になれるかの指標になり得るだろう。
これが当てこすりに聞こえるなら、あなたが歯痒さを感じている証拠だろう。他ならぬあなた自身に。
追記
この記事を書き溜めて投稿しようと思ったらアイキャントスピークイングリッシュさんがふいにやる気を出して英語に取り組みだした。
以来コミュニケーションの拡張と順当な能力の向上を楽しんでいるようだ。
やっぱり苦手な事でも向き合う努力は必要だという事か。生きる姿勢が人生の大半を決めてしまうのは間違いないようだ。
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