突然ではありますが、急なお知らせです。
月狂四郎。本名・大槻史郎は先月の3月31日をもって永眠しました。
今は彼の遺志を継いだわたしがブログを更新しています。わたしの名前を明かしたところで意味など無いので、好きに呼んでいただけたら幸いです。
振り返ると激動の日々でした。
色々な事がありすぎて記憶が定かではないのですが、異変が起きたのは11月頃だったのだと記憶しています。彼がプロボクシングを引退してちょうど一カ月経ったあたりでした。
グローブを壁に吊るした彼は、わたしと一緒に第二の人生を謳歌しようと希望に溢れていました。そこに燃え尽きた男の悲愴感は無く、彼自身も未来の事しか頭に無いようでした。
彼の試合を見に行った事もありましたが、正直なところ勝敗などどうでも良く、ただ無事に帰って来てくれたらわたしは幸せでした。
進退がかかった試合で敗北した彼を見た時、悔しさや悲しさよりも安堵の方が勝ったのは確かです。これが明日帰って来ないかもしれない人を待つ女の本音です。
夢というものは時として残酷です。すぐそぱにあるはずの幸せすらも見えなくしてしまうのですから。
わたしは指にはまっているはずの指輪を夢想しながら、リングへと向かって行く彼の背中を眺めるしかなかったのです。多少ひねくれた考えを持つのもいた仕方ないでしょう。
ですが、ようやくそんな日々も終わり、過ぎ去った幸せを取り戻すべくわたし達は期待に胸を膨らませていました。
そんな中、ある日を境に大槻の物忘れが増えてきました。最初はちょっとした買い物のミスだったり、洗濯の回収を忘れる程度のものだったと記憶しています。
当初は彼もおどけて「こりゃパンチドランカーかな」と笑っていましたが、その症状はみるみる深刻になっていきました。
わたし達には共通の恩人がいます。その人の計らいでわたし達は一緒に暮らせていると言っても過言ではありません。
そんな背景もある中、二人で結婚式の席次を決めている時でした。
大槻はその恩人の名前を見て大真面目な顔で「この人は?」と訊いてきたのです。
最初はたちの悪い冗談かと思っていましたが、どうも雰囲気がおかしいと思いました。
何か触れてはいけないものを見てしまったみたいで、怖くなったわたしは「悪い冗談はやめて」と笑いました。笑うしかありませんでした。
大槻の物忘れは一層酷くなっていきました。
人の名前を忘れるなんていう事はしょっちゅうでしたし、仕事でも物忘れが激しくなり、満足に働けなくなっていったようです。
「一度病院に行ったら?」
そう訊きましたが、彼にもプライドがあるのか、聞き入れようとはしませんでした。
そして、その先には地獄が待っていました。
人名どころか社会のルールさえも忘却の彼方へと追いやった彼は、たびたび事件を起こしては警察と病院のお世話になりました。
そのたびにわたしが彼を迎えに行くのですが、今でも警官がわたしに向けた憐れむような目を忘れる事が出来ません。
運命の神様というものはどうしてこうも残酷になれるのでしょう?
わたし達は人並みの幸せさえ掴めたらよかったというのに。
そんなわたしの苦労も知らずに、大槻は毎日酒を大量に呑んではおぼつかない足取りで帰って来ました。わたしが何度言っても聞かず、暴力を振るわれた事も幾度となくあります。
そのたびに彼は涙を流しながら謝罪するのですが、数日も経つと同じ事を繰り返しました。
未練は無いと言いながら、やはり彼の胸に空いた穴は大きかったようです。その空虚さを埋めるためにアルコールを頼ったのでしょうか。今では知るよしもありません。
今でこそ冷静な視点で過去を振り返っていますが、当時は堕ちゆく彼を止められず、己が無力感を呪いながら枕を濡らした夜も多々ありました。
そんなある日、毎度のように酒をしこたま飲んで来た彼が、友人に引きずられて帰って来ました。
わたしは友人に礼を言い、脱力して重たくなった肉塊を自宅に運んで行きました。
ベッドにどうしようもないろくでなしを横たえると、息を切らせながら水を用意しました。どうしてこんな人と一緒になってしまったのだろう?
そんな事を思いながらも、もしかしたら彼が帰らぬ人となっていたかもしれないと思うと、それも贅沢な悩みなのだと反省しました。
振り返ると、幽霊のような目をした大槻が立っていました。
急な事だったのもあり、わたしは叫ぶ事も出来ず固まっていました。まるで先ほどの煩悶が聞かれたかのように、この胸には妙なざわつきが蠢いて、止まりません。
苦し紛れに「どうしたの?」と訊くと、妙に真面目くさった顔で彼は言いました。
「すまない。どこかで君を幸せにしょうと誓ったはずなのに、それがいつなのか思い出せない」
亡霊の頬からほろりと落ちる一粒の涙。
彼は血を吐いて倒れました。
わたしは何が起きたのかも分からず、しばらくは呆然としていたのだと思います。
医師によると、大槻はだいぶ前から脳に障害を持っていたようです。原因は不明との事でしたが、単にグローブを壁に掛けるのが遅かったようです。
昔から自分の弱いところを見せたがらない人でした。
その気質もあって、豪快に生きる姿を演出し過ぎたのかもしれません。今となってはすべてが後付けになりますが、一命を取り留めた彼は立つ事もままならない余生を送る事になりました。
それでも暇を潰す時間は大量にあったせいか、病床に伏した彼の言葉をわたしが引き継ぎ、月狂四郎としてブログを更新する事にしました。
「自分が倒れた事は絶対に言うな」
それがわたしの課された至上命令でした。
あの人はやはり病気だったのだと思います。
こんな状態になってもまだ自分の言葉を綴らずにはいられない。あの人は確かに病気だったのだと思います。
医師から聞いていた彼の残り時間は最期まで伝えませんでした。どうせ先は永くありません。それを伝えたところで誰が幸せになれるのでしょう。
さて、最後に彼がどんな夢を見ていたと思いますか?
彼の想いはいたって単純でした。
俺は拳で人の心を打つ事は出来なかった。だから、これからはペンで人の胸にいつまでも刻まれる物語を綴っていきたい。
ペンは文字を生み、それは人の魂を打つ事が出来る。
そんな事を言いながら、このごに及んで彼は笑っていました。
殴ってやりたかったです。心から。
それでも、わたしは人知れず涙を流すしか出来なかったのです。
間も無く、ピリオドは無慈悲にやって来ました。
誰一人満足させられずに死んでいく。その代わり残された人の胸に特大の傷を残していく。いかにも彼らしい幕の引き方だったのだと思います。
彼はどんな物語を胸に抱いてこの世を去ったのだろう?
そんな想いを馳せながら窓の外を眺める日が続いています。今も、なお。
ただ一つ言える事は、彼はもうこの世にはいない。あの声を聞く事も、抱きしめる事も、不義理を糾弾する事も叶わない存在となった。ただそれだけです。
彼の顔を、声を思い出せなくなる日が来るのかと思うとどうしようもなく怖いです。
この胸に痛みしか残らないのかと思うと、やるせない気持ちを堪えきれません。
思い出が風に溶けてしまわないように、月狂四郎としてブログは更新していきました。結局はわたしも酒に頼った彼と大して変わらなかったのかもしれません。
でも、それも疲れてしまいました。
他の人を、何よりも自分自身を騙し続けるのに疲れてしまったのです。
だからここで本当に幕を引く事にします。きっとあなた達にはどこまでが本当の月狂四郎で、どこからがわたしの文章なのか見分けなどつかないのでしょう。それでいいです。
それだけがわたしに出来る最後の抵抗であり、ちょっとした嫌がらせなのですから。
じきに誰も彼を憶えていない日が訪れるでしょう。その時が来ても、きっと彼はわたしの胸に生きているのです。
きっと生きているのです。
さようなら。
わたしは彼を殴り飛ばすために、この空を追いかけていきます。
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