脈絡の無い日記
- 2017/03/18
- 13:12
気が付いたら私に限らずKDPの活動を休止している人が結構いるみたいだ。
私の場合は単に忙しいのと諸般の事情でスマホしか使えないため筆を休めたわけだけれど、他の人はどうなのだろう?
ふと思ったのだけれど、5年も経ったら人のライフサイクルなんてある程度変わるよね、と。
単に足の引っ張り合いが嫌になったから出て行った人もたくさんいるけれど、結婚したとか、子供が生まれて執筆どころじゃないという人も結構いるんじゃないか。
一時は強引にスマホで執筆をしてやろうと目論んだけれど、さすがに文字打ちのスピードやら推敲スペックのクソっぷり、編集のややこしさやらネックばかりが悪目立ちしてやってられねーなという事になり、結果として無駄口を叩きながら週一のオナニーみたいに駄文を重ねている。文書力が上がっているかどうかは極めて疑わしい。というか、自分の文章を見直すたびに修正したくなる。
執筆そのものをスパっとやめられたら苦労はないけど、それが出来るなら一番厄介な生理現象であるウンコを完全にストップしたい今日この頃である。きっと人生が効率的になるに違いない。
小学生レベルのトピックはさておき、やはり書き続けるという行為は難しいものらしい。休み中の分際で何言ってやがると揶揄される気がするけれど、私ほど継続して執筆をした個人作家もいなかろうと思う。
不思議な事に、ブログではあんなに生き生きしているくせに、いざ小説になると途端に筆致が大人しくなってしまう人がいる。レビューもしかりだ。
やはり小説という表現は特異な存在らしい。
野球で言ったらブルペンピッチャーにあたるのだろうけれど、作家の場合はなんと言うのだろう?
習作芥川というところか?
むやみやたらに他作家を当てこするつもりはないのだけれど、小説とブログ用の文章では勝手が違うらしく、そこに難しさとともに面白味がある。
逆にブログの文章をそのまま小説に持ってこれる人は強いかなと。出来る人はかなり限られているけれど、みんな分かっているだろうし他の作家から顰蹙を買っても仕方ないので誰が出来ていて誰が出来ていないのかについては黙っておこう。
別に狙っていたわけではないけれど、私の場合はブログでやりたい放題やっている内に新作のネタを思いついて、そのまま育てて本編で使用みたいなパターンが多かった気がする。
そういう意味ではブログで新しい文章の形を辿るのはいい方法なのかもしれない。というか考えてみたらブログの文体を真似して縦書きにしたやつとかもあったなと。
話は盛大に脱線するけれど、結構面白いのが名も無きキャバ嬢のブログを読み漁る事だ。
ある意味世間体から切り離された彼女達の声は生々しく、人間らしく見える事が多い。多い、というのはそれでさえ商売上の目的が背後に隠れているため、必ずしも本音が書かれているわけではないからだ。
だが、それを差っ引いてもその生々しさは傑出している。特に地方のキャバ嬢なんかは人間らしい顔が文面から伺えて面白い。店によっては嬢同士が日常を覗き合って楽しむ事もあるらしい。
純朴な人もいれば嫉妬丸出しのモンスターみたいな奴もいて、普通にオーナーの悪口を書いたら客に密告されて失職の危機に瀕している流れを見ていると「いいネタを仕入れたな」とすら思う(笑)。
逆にやたらと自意識の高いOLやら女子大生のブログもいけ好かない女の研究材料としてはかなり適している。
いかにも充実していますみたいに繕った文面の隙間から漏れ出る承認への渇望やら息苦しさ、そしてステルス・ナルシズム。すまない。勝手に新しい単語を作った。
どうにか仮想空間の中ぐらいではスポットライトを浴びたいみたいな自意識が垣間見えると、これも正直いただきと思ってしまう(笑)。
自分の性向を鑑みると、生まれた瞬間から天使が確定している女性よりも、いつ自分が飽きられるのかとビクビクしながら他者を貶めつつ自意識を肥大化させていく女を描く方が得意な気がする。
そういう方が人間ぽいというか、みんなもなんだかんだそういう話が好きだろうと思う部分がある。橋本環奈みたいな美少女を描いても誰一人として「人間が書けている」と評価してはくれない。たしかに天使は人間じゃない(笑)。
文学だけのお約束なのかもしれないけれど、大抵どんな名作に出てくる女性でもどこか欠陥を持っているような気がする。
たしかについ先日顔も性格も最高レベルの知人がタバコをスパスパ吸っていたら何か安心したような気がする。
では、人間を描くとは何なのだろう?
最近は色々と事情が入り組んできたというか、二次元的な話で女特有の残酷さを描くと顰蹙を買うような。そこには二次元の人間を描きなさいという暗黙のルールがあるのかもしれない。
もはやどうして話がここまで脱線したのか不明なんだけど、人間を書きたかったらやはり生の人間をよく観察するしかないのかなと思う。
そういう意味だと別にMでなくても誰かに怒られたら怒っている人間のサンプルを手に入れている事を喜ぶべきなわけで、それは作家にとってはギフト以外の何物でもない。
人間をよく見ていると、相手のいいところも悪いところも全て見えてくる。生々しい人間を描きたいなら、人間を直に観察するに勝る方法は無い。
作家がコミュ障でいい?
ご冗談を。
会えば大抵まともな人ですよ、と。
作家は嘘を売り、読者とのコミュニケーションを確立しながら糊口を立てている。
作家がクズしかいないというのは、ある意味二次元的な、あまりに二次元的な価値観を持つ人々の亜種が生んだ先入観でしかない。
そうなると今の市場動向も
私の場合は単に忙しいのと諸般の事情でスマホしか使えないため筆を休めたわけだけれど、他の人はどうなのだろう?
ふと思ったのだけれど、5年も経ったら人のライフサイクルなんてある程度変わるよね、と。
単に足の引っ張り合いが嫌になったから出て行った人もたくさんいるけれど、結婚したとか、子供が生まれて執筆どころじゃないという人も結構いるんじゃないか。
一時は強引にスマホで執筆をしてやろうと目論んだけれど、さすがに文字打ちのスピードやら推敲スペックのクソっぷり、編集のややこしさやらネックばかりが悪目立ちしてやってられねーなという事になり、結果として無駄口を叩きながら週一のオナニーみたいに駄文を重ねている。文書力が上がっているかどうかは極めて疑わしい。というか、自分の文章を見直すたびに修正したくなる。
執筆そのものをスパっとやめられたら苦労はないけど、それが出来るなら一番厄介な生理現象であるウンコを完全にストップしたい今日この頃である。きっと人生が効率的になるに違いない。
小学生レベルのトピックはさておき、やはり書き続けるという行為は難しいものらしい。休み中の分際で何言ってやがると揶揄される気がするけれど、私ほど継続して執筆をした個人作家もいなかろうと思う。
不思議な事に、ブログではあんなに生き生きしているくせに、いざ小説になると途端に筆致が大人しくなってしまう人がいる。レビューもしかりだ。
やはり小説という表現は特異な存在らしい。
野球で言ったらブルペンピッチャーにあたるのだろうけれど、作家の場合はなんと言うのだろう?
習作芥川というところか?
むやみやたらに他作家を当てこするつもりはないのだけれど、小説とブログ用の文章では勝手が違うらしく、そこに難しさとともに面白味がある。
逆にブログの文章をそのまま小説に持ってこれる人は強いかなと。出来る人はかなり限られているけれど、みんな分かっているだろうし他の作家から顰蹙を買っても仕方ないので誰が出来ていて誰が出来ていないのかについては黙っておこう。
別に狙っていたわけではないけれど、私の場合はブログでやりたい放題やっている内に新作のネタを思いついて、そのまま育てて本編で使用みたいなパターンが多かった気がする。
そういう意味ではブログで新しい文章の形を辿るのはいい方法なのかもしれない。というか考えてみたらブログの文体を真似して縦書きにしたやつとかもあったなと。
話は盛大に脱線するけれど、結構面白いのが名も無きキャバ嬢のブログを読み漁る事だ。
ある意味世間体から切り離された彼女達の声は生々しく、人間らしく見える事が多い。多い、というのはそれでさえ商売上の目的が背後に隠れているため、必ずしも本音が書かれているわけではないからだ。
だが、それを差っ引いてもその生々しさは傑出している。特に地方のキャバ嬢なんかは人間らしい顔が文面から伺えて面白い。店によっては嬢同士が日常を覗き合って楽しむ事もあるらしい。
純朴な人もいれば嫉妬丸出しのモンスターみたいな奴もいて、普通にオーナーの悪口を書いたら客に密告されて失職の危機に瀕している流れを見ていると「いいネタを仕入れたな」とすら思う(笑)。
逆にやたらと自意識の高いOLやら女子大生のブログもいけ好かない女の研究材料としてはかなり適している。
いかにも充実していますみたいに繕った文面の隙間から漏れ出る承認への渇望やら息苦しさ、そしてステルス・ナルシズム。すまない。勝手に新しい単語を作った。
どうにか仮想空間の中ぐらいではスポットライトを浴びたいみたいな自意識が垣間見えると、これも正直いただきと思ってしまう(笑)。
自分の性向を鑑みると、生まれた瞬間から天使が確定している女性よりも、いつ自分が飽きられるのかとビクビクしながら他者を貶めつつ自意識を肥大化させていく女を描く方が得意な気がする。
そういう方が人間ぽいというか、みんなもなんだかんだそういう話が好きだろうと思う部分がある。橋本環奈みたいな美少女を描いても誰一人として「人間が書けている」と評価してはくれない。たしかに天使は人間じゃない(笑)。
文学だけのお約束なのかもしれないけれど、大抵どんな名作に出てくる女性でもどこか欠陥を持っているような気がする。
たしかについ先日顔も性格も最高レベルの知人がタバコをスパスパ吸っていたら何か安心したような気がする。
では、人間を描くとは何なのだろう?
最近は色々と事情が入り組んできたというか、二次元的な話で女特有の残酷さを描くと顰蹙を買うような。そこには二次元の人間を描きなさいという暗黙のルールがあるのかもしれない。
もはやどうして話がここまで脱線したのか不明なんだけど、人間を書きたかったらやはり生の人間をよく観察するしかないのかなと思う。
そういう意味だと別にMでなくても誰かに怒られたら怒っている人間のサンプルを手に入れている事を喜ぶべきなわけで、それは作家にとってはギフト以外の何物でもない。
人間をよく見ていると、相手のいいところも悪いところも全て見えてくる。生々しい人間を描きたいなら、人間を直に観察するに勝る方法は無い。
作家がコミュ障でいい?
ご冗談を。
会えば大抵まともな人ですよ、と。
作家は嘘を売り、読者とのコミュニケーションを確立しながら糊口を立てている。
作家がクズしかいないというのは、ある意味二次元的な、あまりに二次元的な価値観を持つ人々の亜種が生んだ先入観でしかない。
そうなると今の市場動向も
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