過去に何度か
KDPはパルプ・フィクションに立ち居地が近いという話をしましたが、今回はまたその路線で記事を書きたいと思います。
最近自分に問うてみたのは、
「はたして、自分の作品は再読に耐えうるものだろうか?」という事です。というのも、
「パルプ誌の伝説!」と人々の話題に上った作品は多分熱狂的なファンから何度も読まれているんだろうと思うからです。パルプ誌が差別された理由の一つとして、パルプ作家は低俗な読み捨てストーリーを懲りもせず書き続けているというレッテルを少なからず貼られていた部分があります。なので、いまだにレイモンド・チャンドラーを認めない自称「通」はいるわけです。
確かにそういった作品が多数あったのは間違いありませんが、優れた作家がいたのも事実です。
ご存知の通り、
パルプ誌出身で有名になった人の作品は、夕食後に忘れられるようなものではありません。ここはある意味格式高い文芸誌よりも難しいところがあって、より読み手の立場に立ってストーリーを紡ぐ能力が要求されるからです。いわゆる凡俗な人々というのは能動的に読書をしようとはあまり思いません。
確かにパルプ誌読んでる人の多くは、読書通の人から見れば低級かもしれません。しかし、
世の中には低級な人が殆どなのです。この人達をまず喜ばし、そして高尚な人達も唸らせる。かなり難しい事ではありますが、こういったスタンスも必要なのかなと思います。
そこで思わず再読したくなるような書籍を出版しないとダメなのかな、とも思います。商業出版で有名なのは
「イニシエーション・ラブ」ですね。あれはパルプ誌じゃないですけど。
最近KDP作家である夏居暑氏の
「強請屋ドットコム」という作品を読みました。
この作品には思わず読み返して確かめたくなるようなミステリーがあり、前述の
「イニシエーション・ラブ」と
「強請屋ドットコム」はここ最近で再読したただ二つの作品です。
基本的に読みたい本が次から次へと出てくるので、なるべく再読の必要が無いようしっかり読むようにしているのですが、それを差し引いても上記二作は再読しました。
まあ、あんまり再読ありきでストーリーを練る気もないのですが、
朝起きたら隣の女性に「あんた誰?」って言われるような作家にはならないようにしようと刺激を受けました。
「強請屋ドットコム」はつんどく速報でも記事がありますので、興味のある方はぜひ読んでみて下さい。商業だと編集に待ったをかけられそうな表現方法があったりと、個人出版ならではの楽しみがありますよ。氏の作品は何度か読んでいたのですが、ネタバレを封印しつつ面白い記事を書く事が出来なかったので、今まで発表出来ていませんでした。
今日はここまで。
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